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『Food of Sinful Demons』

アメリカで先月に発売になったばかりの本です。タイトルになっている「Food of Sinful Demons ([肉それは]罪深き悪鬼の食べ物)」という言葉は14世紀のチベットで活躍した戒律の専門家ニャムメー・シェーラプギェルツェンの言葉から採られたもののようです。

Geoffrey Barstow, Food of Sinful Demons –Meat, Vegetarianism, and the Limits of Buddhism in Tibet–, Studies of the Weatherhead East Asian Institute, Columbia University Press, (2018) New York. (ISBN978-0-231-17996-6)
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 チベット文化とベジタリアン、この何とも違和感の漂う取り合わせがにわかにホットな話題となりつつあります。私、阿亜蕃仙人は自分自身がヴィーガンという種類のベジタリアンになったという個人的事情と、チベット学者として長年研究対象としフィールドとしてきたチベット文化との両者は、およそ関わりのないものと数年前まで思い込んでいたのですが、近年事情は変わってきました。中国仏教とは違い、伝統的には強調されることのなかった菜食主義がチベット仏教徒の中で語られることが最近多くなってきたのです。先日、この動向についてのエッセイを書き東京外国語大学のアジア・アフリカ言語文化研究所から出ている『セルニャ』という雑誌に投稿しました(3月頃刊行されます)ので興味のある方はそちらのほうもご覧になって下さい。
 チベット人僧侶と個人的な付き合いがある人には周知の事ですが、現代のチベット仏教僧(主として亡命チベット僧)で肉食をしない人はほとんど居ません。しかし彼らは実に戒律堅固で蚊やごきぶりでさえ殺せない人がほとんどです。つまり彼らの肉食は殺生戒と直結している訳ではないのです。この本は多くの欧米人が何気なく持っている仏教に対するイメージ、つまり精進食と結びついている仏教世界のイメージ(=平和を愛するリベラルなベジタリアン?)と、肉好きのチベット僧という現実との間の素朴な違和感をその研究動機としているように私には思われます。
 菜食主義的ベースを持ったインド仏教文化の受容にはじまり、家畜とともに生活し肉食が生活の奥底まで習慣となっているチベット固有の文化とのギャップの中で、チベット仏教の先人たちがどんな風に葛藤し、どのようにその矛盾を埋め、理論を構築していったのか、を著者は追いかけています。カダム派の祖と仰がれるアティシャ(11世紀)の弟子のドムトンバは出家者ではなかったのですが師のアティシャは弟子の僧侶に肉食を避けるように助言していたといいます。戒律に関するサキャパンディタの著作に解説を加えたサキャ派のコラムパ(15世紀)などが上座部系具足戒や大乗菩薩戒そして密教戒という、その目的や目標がそれぞれ違う三種の戒律の理想や理論を使いながら、三種浄肉という(自分の食の為に殺したものだと確認出来ない肉は食しても致し方ないという)例外規定を援用しつつ、そして菩薩は利他行のためには悪趣にまで赴く力量が必要だと語りながら、肉食の道を開いていった歴史が概観されます。興味深いと思ったのはゲルク派の祖であるツォンカパの高弟、ケートゥプジェ(14-15世紀)が「三種浄肉であっても肉食を経験していた時の習慣力があって自分の為の味覚への執着を起こすので初心者の菩薩は肉食してはだめだ」と述べている点の指摘です。これなんかは今まで聞いたことがなかった。
 一方で戒律堅固に飲酒や午後の食事や肉食に一切関わらずに暮らした13世紀のジクテン・スムゴンから始まり20世紀のガワン・レクパに至るまでの精進僧の伝統にも著者は言及しています。16世紀のツルプ僧院を執り仕切った第8世カルマパ、ミキュードルジェなどは僧院内で肉だけではなく卵までも禁止したと記録されているそうです。また、菜食や断食と深く結びついた修行として有名なニュンネー修行のあらましやその伝統についても著者は言及しています。

エピローグとして現代のチベットでの新たなベジタリアニズムの動向についても触れていて大変面白い本です。註記で引用された文献資料に丹念にチベット語原文が添えられているので専門家が読んでも楽しめる本になっています。