了翁道覚禅師とくず野菜の醤油漬

『黄檗文華』という万福寺から出ている学術雑誌があってその第124号(2004年)に野川博之氏による「福神漬の起源をめぐる一考察」という論文があります。福神漬けは一般的には上野の「酒悦」十五代店主の野田清右衛門が創製者だということになっています。

この論文はその説に異を唱えるものではないものの黄檗宗の僧侶了翁道覚禅師(1630-1707)創始説を検討したものです。了翁禅師は直接黄檗宗の開祖隠元禅師に学んだ人物ですが、宗派にとらわれる事なく様々な福祉事業を行なったことで有名です。事業を起こしその資金を使って福祉事業を展開するという極めて近代的な感覚が了翁禅師の業績をみると読み取れます。修行時代の荒行は凄まじいもので、古えの高僧伝なんかに見える焼身行、つまり自分の指を燃やしながら仏に供養するというような行をしていたようです。凄い。また、普茶料理を日本に伝えた隠元禅師の下で修行しただけあって食と修行との関係を密接に捉えていたようで、禅師は捨てられるくず野菜を有効利用するためにくず野菜のしょうゆ漬けを考案して弟子や寮生と一緒にそれを食べていたと伝えられています。
 もう一人福神漬起源説に登場する人物が居ます。それは河村瑞賢という豪商でかれはこのくず野菜を塩漬けにして成功しました。瑞賢は品川あたりの海岸に打ち上げられたお盆のお供えの野菜類を材料にしていたと伝えられています。
 これらの起源説に明確な結論が下せるような史料はまだ発見されていません。くず野菜の醤油漬けや塩漬けなどのアイデアを清右衛門が味醂漬けとして完成させたというところなのでしょうか?
 ところで話しはかわりますが、福神漬けの中に必ず入っている「なた豆」は隠元禅師と関連づけられる隠元豆とほぼ同じ時期に中国から日本伝来したそうです。「なた豆」は硬いので細かく刻んで福神漬けに入れる以外にはあまり食用に使われるのを見た事がありません。けど逆になた豆なしに福神漬けは考えられない。偉いじゃないですか。だれもが使いたい人気者の野菜ではないのだけれど、だれもこのなた豆の位置を脅かす野菜はないのです。
 了翁禅師は死ぬ一週間前に自らの死期を覚り断食に入って最後は弟子たちに別れを告げて息を引き取ったそうです。